尖閣の領有をめぐって日中台がややこしい。思ったところを書き記す。
中国人が尖閣上陸した際、県警が逮捕し中国に送り返した。
これは島での警察権は日本にあり、日本の実効支配を意味してる。
竹島などと同じく、実効支配している領土は他国の領土になりにくい。
さらに中国は常に尖閣問題の棚上げ、現状維持を希望していた。
この状況でことを荒げる必要があったのか?
中国の海洋進出は常に領海問題を抱えるので慎重にならざるを得ない。
対して日本には広大な太平洋がある。日本海の資源開発は魅力的だろうが、
太平洋側の資源開発や石油の代替と期待されているオーランチオキトリウム
の研究開発など、他に選択肢はたくさんある。
その状況でここまで強引に尖閣を国有化する必要があったか?
国有化でなにが変わったか?
尖閣諸島周辺の問題はよりややこしくなった。
大規模な反日デモにより在中日本企業は大きな損失を被った。
オスプレイの本格配備。実はアメリカが裏でなにか?とも思う。
結局、今回の石原慎太郎からの尖閣国有化の流れで、日本は得してない。
よくわからない感情論でわかりやすそうな選択肢を選んだ結果、
今まで培ってきた中国における日本企業の信頼などを失った。
戦争を主張する人もいる。けど、考え直して欲しい。
戦争を主張する人が命を落とすだろうか?
命を落とすのはその人と関係のない人で、誰かの大切な人だ。
中国と戦争する日本国を、次の世代に残すので良いのだろうか?
より吠えるのは怯えている犬だ。本当に日本人が強く、日本が大国ならば、もっと泰然と賢い選択をするべきだ。
2012年9月26日水曜日
2012年6月30日土曜日
All you need is LOVE.
33歳になった。
ぼんやり自転車をこぎながら考える。
福島の原発事故に端を発した原発停止からの大飯原発再稼働。
プライムミニスター野田が国民の生活を第一に考え、再稼働を決めた。
原発動いてないと電力供給ままならず、色々と困るんだそうだ。
さらに、たぶん、電力供給は地域独占だし、
電力会社を取り巻く利権の構造ってのがスゴくて、
だから四の五の言わず動かせぃ!って言うのを感じる。
そこに、たとえば、今年の夏は原発を動かさないよ!
もうそれで行くからね!プランはこうだよ!って言う
やるぞ感ってか、そういう一所懸命さが微塵も感じられなくて、嫌だ。
結局、電気は俺らが供給してるし~。
原発動かした方が都合いいし~。いろいろダルイシ~。って感じる。
消費税増税問題もそう。
消費税増税も必要ならばやむなし、と思う。
だけど、ここで増税なの?と。もっと手前でできることない?
いゃ。もっと、もっとさ。
で、これら問題はなんだ?と。
マイケル・ムーアの映画、華氏911を見て思ったのだが。
企業も国家も利益を考えて行動する。
だから、原発再稼働や消費税増税が、関わる人の利益ならそうなる。
でも関わる人の利益、で良いのか?
地域や人や国のことを考えて、利益以外の、たぶん愛が足りないのじゃないか?と。
東電の電力供給事業には、愛のない夫婦関係とか性交渉とか。
なんかそう言うのを感じなくもない。もっと愛を持って取り組んでもらいたい。
愛じゃお腹はいっぱいにならない、とも言うけれども。
ぼんやり自転車をこぎながら考える。
福島の原発事故に端を発した原発停止からの大飯原発再稼働。
プライムミニスター野田が国民の生活を第一に考え、再稼働を決めた。
原発動いてないと電力供給ままならず、色々と困るんだそうだ。
さらに、たぶん、電力供給は地域独占だし、
電力会社を取り巻く利権の構造ってのがスゴくて、
だから四の五の言わず動かせぃ!って言うのを感じる。
そこに、たとえば、今年の夏は原発を動かさないよ!
もうそれで行くからね!プランはこうだよ!って言う
やるぞ感ってか、そういう一所懸命さが微塵も感じられなくて、嫌だ。
結局、電気は俺らが供給してるし~。
原発動かした方が都合いいし~。いろいろダルイシ~。って感じる。
消費税増税問題もそう。
消費税増税も必要ならばやむなし、と思う。
だけど、ここで増税なの?と。もっと手前でできることない?
いゃ。もっと、もっとさ。
で、これら問題はなんだ?と。
マイケル・ムーアの映画、華氏911を見て思ったのだが。
企業も国家も利益を考えて行動する。
だから、原発再稼働や消費税増税が、関わる人の利益ならそうなる。
でも関わる人の利益、で良いのか?
地域や人や国のことを考えて、利益以外の、たぶん愛が足りないのじゃないか?と。
東電の電力供給事業には、愛のない夫婦関係とか性交渉とか。
なんかそう言うのを感じなくもない。もっと愛を持って取り組んでもらいたい。
愛じゃお腹はいっぱいにならない、とも言うけれども。
2012年1月12日木曜日
山登り
山を登っていて、僕は足元をみて黙々と登る人だと感じた。
山頂を常に見上げて、と言うのはあまり好きではない。
たまに方向が合っているかを確認しながら、
道によっては歩き方を考えながら黙々と登る。
なにも派手なことはないけれども、それが良いなと思った。
先日、宇宙飛行士の方が仰っていたことが記憶に残った。
毎日自分のできることだけを少しずつしていってください。
一歩一歩の歩みがとても大切です。確かそんなことを言っていた。
僕はあまり目標とかを定めないし、どうなりたいとかもあまり
考えないんだけど、それではいけないのか?と最近考えていた。
やたら目標だとかビジョンだとか夢だとか言われたもので。
でも、まぁ、いいんだなと思いました。
2012年はもうちょっとは山登りをしようっと。
あ。あと山登りにおいては山の下り方が大事だなと思った。
登りつめる、もしくは道半ばだとしても、どうやって山を下りるか。
それをイメージすること。予定に入れておくことだ大事な気がする。
山頂を常に見上げて、と言うのはあまり好きではない。
たまに方向が合っているかを確認しながら、
道によっては歩き方を考えながら黙々と登る。
なにも派手なことはないけれども、それが良いなと思った。
先日、宇宙飛行士の方が仰っていたことが記憶に残った。
毎日自分のできることだけを少しずつしていってください。
一歩一歩の歩みがとても大切です。確かそんなことを言っていた。
僕はあまり目標とかを定めないし、どうなりたいとかもあまり
考えないんだけど、それではいけないのか?と最近考えていた。
やたら目標だとかビジョンだとか夢だとか言われたもので。
でも、まぁ、いいんだなと思いました。
2012年はもうちょっとは山登りをしようっと。
あ。あと山登りにおいては山の下り方が大事だなと思った。
登りつめる、もしくは道半ばだとしても、どうやって山を下りるか。
それをイメージすること。予定に入れておくことだ大事な気がする。
2011年12月14日水曜日
昔の…~2005年12月02日 エディ・ゲレロ死去
WWEと言うアメリカ最大のプロレス団体がある。
そこのスター選手であるエディ・ゲレロが11/13に急死した。
高校時代にスポーツのケーブルテレビ局であるESPNの番組で
WCWと言うプロレスを見始めたのがアメプロとの出会い。
その頃はスティングやディーン・マレンコ、リック・フレアーが好きだった。
で、エディもその頃からなんとなく知っていた。
アメプロと再会したのは大学時代。
従兄の住むアメリカに遊びに行く度に
見るテレビがなくてプロレスを見ていた。
最近ではJスポーツと言うチャンネルでよく見ていて
エディは陽気で戦い方も見ていて面白いし好きだった。
38歳での死。
そう言えば先日、38歳のカズが移籍先のオーストラリアで2ゴール。
エディの試合がもう見れないと思うと、なんだか寂しい。
そこのスター選手であるエディ・ゲレロが11/13に急死した。
高校時代にスポーツのケーブルテレビ局であるESPNの番組で
WCWと言うプロレスを見始めたのがアメプロとの出会い。
その頃はスティングやディーン・マレンコ、リック・フレアーが好きだった。
で、エディもその頃からなんとなく知っていた。
アメプロと再会したのは大学時代。
従兄の住むアメリカに遊びに行く度に
見るテレビがなくてプロレスを見ていた。
最近ではJスポーツと言うチャンネルでよく見ていて
エディは陽気で戦い方も見ていて面白いし好きだった。
38歳での死。
そう言えば先日、38歳のカズが移籍先のオーストラリアで2ゴール。
エディの試合がもう見れないと思うと、なんだか寂しい。
昔のブログが消えるらしいので、移行~2006年03月20日 一件の婚礼と一杯のカクテルとアクセサリー
昨日初めて自分のしている仕事を好きになった。
今までは別にブライダルコーディネートとか好きでなかったし
一生に一度の幸せに関われるなんて良い仕事だねと言われても
はぁそうかなぁ?でもそうでもないような気がするけど程度だった。
んでもって。昨日担当したお客さんはとても好きだった。
好きだったんだけれども、お客さんの仕事の都合などもあり
思うように準備が進まず、自分達も把握していない始末。
とても、当日を迎えるにあたってはこっちも不安だった。
そして当日。実際になってみると問題がいくつか起こる。
お客さんのお持ちになるはずのものを忘れていたり、
お客さんの方で手配されていなかったり、
こちらと新郎と新婦の連絡ミスで手配が出来ていなかったり。
それらは想像の範囲内ではあったのだけれども、
乗り越える数は思っていたよりも多かった気がする。
ひとつひとつでできる限りの可能性を考え、提案し、
迷惑のかかるスタッフにお願いし、お客さんの了解を得て。
でもトータルでは本当に上手く行って、本当に良かったと思えた。
先週のことだったのだが、自由ヶ丘にあるとあるバーに行った。
去年職場の先輩に教えて貰ったバーで、カクテルが本当に美味しい。
どれくらい美味しいかと言うと、酔ってしまうのが惜しい程美味しい。
で、その日一緒に行った後輩がお薦めの青いカクテルを頼んだ。
しばらくして。
脚の部分に素晴らしい装飾のなされた素敵なフルートグラスに
素晴らしいカクテルが注がれてきた。
そのカクテルは青で、水面からは氷河のように
クラッシュアイスで埋められている。
水面近くはブラックライトによって月明かりで照らされたように白く光っている。
そしてその神秘的な静寂の青い海の底には
静かに角砂糖がひとつ沈んでいた。
なんて素敵な一杯なのだろうと思い、ずぅっと眺めてみた。
そして、こんな一杯に素敵な演出を成すバーテンダーと言うのは
なんて素晴らしい種類の人間なのだろうと思った。
でも昨日。もしかしたらブライダルコーディネートも
そう言う仕事なのではないだろうかと初めて思えた。
そこまで大それていないにしても、そう言う可能性を秘めた仕事だと。
そこに楽しさと言うか、居心地の良さのようなものを初めて感じた。
「華やかなものの裏にはとても地道な努力がある」と
この日の新郎のお父さんは謝辞の中で言っていたが
その地道なものの先の華やかさを、初めて実感できたのだろうかと思う。
そしてたぶん僕の父のしている仕事も
このカクテルや一件の婚礼のような仕事であるのだろうなぁと。
この3つに新たな共通点の発見をして、1人興奮しながら
夜の街を自転車で自宅へと向ったのでした。
今までは別にブライダルコーディネートとか好きでなかったし
一生に一度の幸せに関われるなんて良い仕事だねと言われても
はぁそうかなぁ?でもそうでもないような気がするけど程度だった。
んでもって。昨日担当したお客さんはとても好きだった。
好きだったんだけれども、お客さんの仕事の都合などもあり
思うように準備が進まず、自分達も把握していない始末。
とても、当日を迎えるにあたってはこっちも不安だった。
そして当日。実際になってみると問題がいくつか起こる。
お客さんのお持ちになるはずのものを忘れていたり、
お客さんの方で手配されていなかったり、
こちらと新郎と新婦の連絡ミスで手配が出来ていなかったり。
それらは想像の範囲内ではあったのだけれども、
乗り越える数は思っていたよりも多かった気がする。
ひとつひとつでできる限りの可能性を考え、提案し、
迷惑のかかるスタッフにお願いし、お客さんの了解を得て。
でもトータルでは本当に上手く行って、本当に良かったと思えた。
先週のことだったのだが、自由ヶ丘にあるとあるバーに行った。
去年職場の先輩に教えて貰ったバーで、カクテルが本当に美味しい。
どれくらい美味しいかと言うと、酔ってしまうのが惜しい程美味しい。
で、その日一緒に行った後輩がお薦めの青いカクテルを頼んだ。
しばらくして。
脚の部分に素晴らしい装飾のなされた素敵なフルートグラスに
素晴らしいカクテルが注がれてきた。
そのカクテルは青で、水面からは氷河のように
クラッシュアイスで埋められている。
水面近くはブラックライトによって月明かりで照らされたように白く光っている。
そしてその神秘的な静寂の青い海の底には
静かに角砂糖がひとつ沈んでいた。
なんて素敵な一杯なのだろうと思い、ずぅっと眺めてみた。
そして、こんな一杯に素敵な演出を成すバーテンダーと言うのは
なんて素晴らしい種類の人間なのだろうと思った。
でも昨日。もしかしたらブライダルコーディネートも
そう言う仕事なのではないだろうかと初めて思えた。
そこまで大それていないにしても、そう言う可能性を秘めた仕事だと。
そこに楽しさと言うか、居心地の良さのようなものを初めて感じた。
「華やかなものの裏にはとても地道な努力がある」と
この日の新郎のお父さんは謝辞の中で言っていたが
その地道なものの先の華やかさを、初めて実感できたのだろうかと思う。
そしてたぶん僕の父のしている仕事も
このカクテルや一件の婚礼のような仕事であるのだろうなぁと。
この3つに新たな共通点の発見をして、1人興奮しながら
夜の街を自転車で自宅へと向ったのでした。
昔の…~2006年03月26日 ちばのおじいちゃん
金曜の朝。ちばのおじいちゃんが亡くなった。
うちの母方の祖父だ。
以前から肺が良くなくてずっと病院を転々としていた。
僕は初孫なので、昔からとても可愛がってもらっていて
小さい頃からとてもたくさんの思い出がある。
プールに行ったりお風呂に入れてもらったり
水が飛び散らないうがいの仕方を教えて貰ったり。
この土日はお通夜と告別式だった。
一通りのことがとてもよく解った。
色々なことを思い出すと寂しいのだけれども
83歳まで生きたのだから良かったと思う。
これからは良くちばのおばあちゃんを連れ出そう。
うちの母方の祖父だ。
以前から肺が良くなくてずっと病院を転々としていた。
僕は初孫なので、昔からとても可愛がってもらっていて
小さい頃からとてもたくさんの思い出がある。
プールに行ったりお風呂に入れてもらったり
水が飛び散らないうがいの仕方を教えて貰ったり。
この土日はお通夜と告別式だった。
一通りのことがとてもよく解った。
色々なことを思い出すと寂しいのだけれども
83歳まで生きたのだから良かったと思う。
これからは良くちばのおばあちゃんを連れ出そう。
昔の…~2006年03月29日 I went to the...
昨日火曜。千葉県は八街に行ってきた。
なぜか。亡くなった母方の祖父は昔都賀に住んでいた。
おそらく僕が6歳の頃までなのだが、
その時は都賀の団地から程なく行ったところにある
養鶏場で働いていて、その養鶏場でよく遊んだのだ。
だので車を出したついでに記憶を頼りに都賀に行ってみた。
都賀の団地は結構すぐに見当がついた。
もうそろそろ都賀から引っ越すと言う時に
都賀の駅から団地のすぐ側までモノレールを建設していて
その終点駅がすぐそこに見えた記憶があったからだ。
そのモノレールの駅は千城台と言う終点の駅だった。
恐らく都賀からその千城台までは車に乗って行ったはず。
道端にある鯉を売っているペットショップに妙に覚えがある。
(あとで父に確認したら当時からあったとのことだ。)
記憶では千歳台の駅の道を左に曲がってすぐだと思っていた。
でも実際は真っ直ぐ行ってすぐであった。
団地の裏には良く遊んだ小学校がまだあったが、
昔は破れていて侵入可能だったフェンスが綺麗になっていた。
ここまでは良かった。養鶏場までの道はもっと判らない。
記憶では団地を左に出て真っ直ぐ行くと山にぶつかるT字路があり
そこを曲がって真っ直ぐ行く…ような…。
まず驚いたのはT字路がほぼ記憶のままだったと言うこと。
そしてそこを記憶どおりに左に曲がる。
養鶏場は山中をずっと行くイメージがあったが、
実際は畑や林を抜けはするが、いたって平らな道だった。
ずっと真っ直ぐ行く。なんとなく見覚えがある。
けれどもこれからどう行けば良いのか判らない。
道端の角にあるセブンイレブンに車を止めトイレをかりる。
ちょっと困ったので忙しくなければと思い父に電話。
父が言うにはどこかを右に曲がるらしい。
そして“池”や“大きな農家の門”の横を通るらしい。
池・池・池。
そー言えば大きなネズミのいる池があった!
そう思いセブンイレブンの横を曲がっていく道に目をやる。
なんだか見覚えのあるような気がしてならない。
よし。この道と決めて真っ直ぐ進んでみようと思う。
右に曲がると一本道だと父が言っていたのでただひたすら行く。
ちょっとこの道じゃなかったかなぁ…と思い始めたとき
少し開けたところで農業用水路を渡す橋があった。
そう。ここでよくつくしを取った記憶がある。
そしてそのつくしをお浸しにして食べていたっけな。
もしかしたら道は合っているのではないかと思い始める。
もうしばらく行くと道端に牛舎があって牛がいる。
牛・牛・牛。妙に見覚えがある。
そーだ。牛が近くにいて、これくらい小さな囲いの中に確かいた。
養鶏場は近いような気がする。
しかしその道を真っ直ぐ行くとちょっと大きい通りにぶつかって終わり。
これは違うと思いちょっと戻ってみる。
たしか養鶏場へ行く道は舗装していなかったはずだ。
そう思い脇道に目をやりながら進む。
そうするとなんだか見覚えのある道が。
ここかなと思い曲がってみる。真っ直ぐ行くとすぐ行き止まり。
しかし。隣に座っていた彼女が「あれじゃないの?」と。
開けた畑の左側遠くに茶色い古びた建物が…。
近付いて行ってみると、それはかなり荒廃した建物だった。
しかし養鶏場の建物であることに間違いはなかった。
記憶通りだと左手に横向きの建物が二つ。
その奥に小さな小屋があって、そこに自転車など置いてあった。
小屋は引き戸で入って左手にはビニールござが引いてある
台があり、そこでよくお結びを食べた。
その小屋もボロボロで柱だけの状態だったが、発見。
中にはござの残骸や錆びたサンバルカンの自転車が。
二十年も前の記憶をたどって、養鶏場に辿り着いた。
夕焼けで真っ赤になった落花生畑やヒグラシの大合唱。
赤とんぼやバッタや蛇の抜け殻などなど。
来て見ると色々な思い出がめぐりまして。
凄いなと思っていたら
「きっとじいちゃんが教えてくれたんだよ」
と彼女が隣で言った。きっとそうだなと僕も思った。
なぜか。亡くなった母方の祖父は昔都賀に住んでいた。
おそらく僕が6歳の頃までなのだが、
その時は都賀の団地から程なく行ったところにある
養鶏場で働いていて、その養鶏場でよく遊んだのだ。
だので車を出したついでに記憶を頼りに都賀に行ってみた。
都賀の団地は結構すぐに見当がついた。
もうそろそろ都賀から引っ越すと言う時に
都賀の駅から団地のすぐ側までモノレールを建設していて
その終点駅がすぐそこに見えた記憶があったからだ。
そのモノレールの駅は千城台と言う終点の駅だった。
恐らく都賀からその千城台までは車に乗って行ったはず。
道端にある鯉を売っているペットショップに妙に覚えがある。
(あとで父に確認したら当時からあったとのことだ。)
記憶では千歳台の駅の道を左に曲がってすぐだと思っていた。
でも実際は真っ直ぐ行ってすぐであった。
団地の裏には良く遊んだ小学校がまだあったが、
昔は破れていて侵入可能だったフェンスが綺麗になっていた。
ここまでは良かった。養鶏場までの道はもっと判らない。
記憶では団地を左に出て真っ直ぐ行くと山にぶつかるT字路があり
そこを曲がって真っ直ぐ行く…ような…。
まず驚いたのはT字路がほぼ記憶のままだったと言うこと。
そしてそこを記憶どおりに左に曲がる。
養鶏場は山中をずっと行くイメージがあったが、
実際は畑や林を抜けはするが、いたって平らな道だった。
ずっと真っ直ぐ行く。なんとなく見覚えがある。
けれどもこれからどう行けば良いのか判らない。
道端の角にあるセブンイレブンに車を止めトイレをかりる。
ちょっと困ったので忙しくなければと思い父に電話。
父が言うにはどこかを右に曲がるらしい。
そして“池”や“大きな農家の門”の横を通るらしい。
池・池・池。
そー言えば大きなネズミのいる池があった!
そう思いセブンイレブンの横を曲がっていく道に目をやる。
なんだか見覚えのあるような気がしてならない。
よし。この道と決めて真っ直ぐ進んでみようと思う。
右に曲がると一本道だと父が言っていたのでただひたすら行く。
ちょっとこの道じゃなかったかなぁ…と思い始めたとき
少し開けたところで農業用水路を渡す橋があった。
そう。ここでよくつくしを取った記憶がある。
そしてそのつくしをお浸しにして食べていたっけな。
もしかしたら道は合っているのではないかと思い始める。
もうしばらく行くと道端に牛舎があって牛がいる。
牛・牛・牛。妙に見覚えがある。
そーだ。牛が近くにいて、これくらい小さな囲いの中に確かいた。
養鶏場は近いような気がする。
しかしその道を真っ直ぐ行くとちょっと大きい通りにぶつかって終わり。
これは違うと思いちょっと戻ってみる。
たしか養鶏場へ行く道は舗装していなかったはずだ。
そう思い脇道に目をやりながら進む。
そうするとなんだか見覚えのある道が。
ここかなと思い曲がってみる。真っ直ぐ行くとすぐ行き止まり。
しかし。隣に座っていた彼女が「あれじゃないの?」と。
開けた畑の左側遠くに茶色い古びた建物が…。
近付いて行ってみると、それはかなり荒廃した建物だった。
しかし養鶏場の建物であることに間違いはなかった。
記憶通りだと左手に横向きの建物が二つ。
その奥に小さな小屋があって、そこに自転車など置いてあった。
小屋は引き戸で入って左手にはビニールござが引いてある
台があり、そこでよくお結びを食べた。
その小屋もボロボロで柱だけの状態だったが、発見。
中にはござの残骸や錆びたサンバルカンの自転車が。
二十年も前の記憶をたどって、養鶏場に辿り着いた。
夕焼けで真っ赤になった落花生畑やヒグラシの大合唱。
赤とんぼやバッタや蛇の抜け殻などなど。
来て見ると色々な思い出がめぐりまして。
凄いなと思っていたら
「きっとじいちゃんが教えてくれたんだよ」
と彼女が隣で言った。きっとそうだなと僕も思った。
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